東京里帰りプロジェクトが生まれるまで
院長の想い~被災地の妊産婦さんを助けたい!プロジェクト始動~
東京でも大きく揺れた、あの日。
地震に続き、予想を超えた大規模な津波で東北地方沿岸の町は壊滅。
テレビで連日被害の様子が流れる中、院長・宗が助産師として考えたことは、あの中に必ず妊婦さんがいる、小さな赤ちゃんを抱えたお母さんがいる。妊婦さんが冷えている、このショックで母乳が出にくくなるのでは、とにかく暖かい場所に連れてきたい、ということでした。
なにかできることはないか。そう考えて翌12日の夜中、東京都助産師会会長にあてて、東京都助産師会の取り組みとして都内の各開業助産師に協力をお願いしたいとメールをしました。
そう、このプロジェクトは震災翌日から始まったのです。
被災地で困っている人を助けたい。そう思って起こす行動は、そう思っている人たちをつなぎます。
ちょうど震災当日、他の件で打ち合わせをしていたUさんにこのプロジェクトのことを話すと、継続していける事業として実現するためにはどうしたらよいかを考え、具体化してくれました。
ただの自己満足のボランティアで終わらせることなく、現実的に妊産婦さんを支え、展開していくためには何が必要か。目標を掲げ、実現に向けて動き出します。
二人で練った発案を持って、3月23日、臨時理事会。
各助産所には事前に協力をお願いし、15の助産所(現在25か所)が協力を申し出てくれていました。
このとき正式に東京都助産師会の取り組みとして、このプロジェクトが承認されました。
しかし、始動してみると、問題は山積…
どのような手段でこの情報を被災地に届けるか?希望者を募るのか?どのようにして東京まで移送すればよいのか?また助産所を出た後、あるいは予定日がかなり先の場合、どこで滞在していただくか?継続していくための資金は?無償では長く継続しての支援はできない…
ここでも、被災地の人たちに何かしたい、と思う人々がつながって、様々なことが解決していきました。
まずは津波で大きな被害を受けた宮城県の助産師会にプロジェクトの内容を連絡し、情報を流してもらいました。この宮城県助産師会には、励ましの言葉も多くいただきました。
また、日本産婦人科学会の教授から東北地方の産後のお母さんを引き取る場所はないかと問い合わせがあり、我々が50床用意できている旨をつたえました。(しかし、結局移送手段がすぐには整わず、このときは東北から妊産婦さんが来ることはできませんでした)
また助産所以外の滞在先をどのようにしようかと考えていた時に、あるボランティア団体の代表をされているAさんが、ボランティア家庭での滞在の案を提案してくれました。
このAさんはボランティア家庭の募集に始まり、マッチング、トラブルの解決、病院への付き添いや手配、ボランテイアの依頼など幅広い人脈を持っており、あらゆる面で協力してくれています。
そうこうするうちに四月初め、事務方Uさんの尽力でHPが立ち上がります。
資金面では、ホームページ上からクレジットカードで寄付できるものを作りたいと方法を模索した結果、日本財団公益コミュニティーサイトであるcanpanの協力を得ることができ、これも実現しました。
さらに日本財団からの大口の助成が決まり、妊産婦さんの助産所滞在は、助産所には運営費がきちんと入り、妊産婦さんの負担は軽減する理想の形をとることができるようになりました。
そしてネットの力を借りてプロジェクトは多くの人が知るところとなり、ボランティアに手を挙げてくれる人とも多く繋がっていきます。
妊産婦さん滞在のボランティア家庭のお申し出、無償の住居提供、行政からの住宅費助成、物資の支援は個人だけでなく企業からも。寄付も多くの方から頂き、それ以外にも海外で集めた義援金や物資や心のこもった手紙、千羽鶴を提供したいと台湾、アメリカ、フランス、イギリスからも連絡が来ています。
こういった人々の気持ちを、実際に被災者の方々の役に立つようにつなげていける。このプロジェクトはそういった意味でも、有意義なものになっているのではないかと思うのです。
現在までの具体的な取り組みと受け入れ結果等は、ホームページからご参照ください。