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松が丘体験記(1)

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松が丘体験記(1)

松が丘助産院での出産 marukoさんの場合

● 松が丘との出会い ―難産宣言を受けて―

7~8年前だっただろうか。ネットで見つけた松が丘助産院。まだ結婚もしていなかったが、「出産するなら絶対にココ!」と決めた。
結婚後も待てど暮らせど赤ちゃんは授からず、仕事を一生懸命やる人生でもいいかもしれないなぁと思い始めた時、妊娠。
近所の産婦人科で妊娠を確認した後、夫婦で見学会に出席する。

 はじめて訪れた松が丘助産院。ドキドキしながら玄関を入ったのだが「ふつうの家?」という第一印象。なんだかおばあちゃんの家に来たような懐かしい感覚に包まれながら、宗さん(院長)の話を聞く。
見学会なのに、食事や生活の注意点を細かく説明したり、出産シーンの写真を見せられてどきっとしたりして、ちょっと驚きながらも話がすすんでいく。
「教師や秘書、看護師は難産だけど、一番の難産は、ライター」という驚きの言葉。思わず私は息をのむ。すると、宗さんが「ライターの人、いるの!?」。「あなた絶対32週で産休をとりなさい」と言われる。まだここで生むと決めたわけでもないのにと思いながらも、その迫力におもわずうなずいてしまう。見学会に出席している他の9組の人々の視線に恥ずかしい思いもしたが、それ以上に「難産」という言葉にショックを受ける。

● 初診

妊娠13週。松が丘助産院での初健診。担当は宗さん。
1時間たっぷりと、いろいろなことを聞かれた。家族構成から家族の持病まで聞かれて、お産にはこんな情報も必要なのか!?とすこし驚く。
靴下を脱いで、足をマッサージしてもらう。「難産の足ね」といわれて、「どこらへんが難産ですか?」と聞くと、「ここらへんが・・・」と説明してくれ、見学会に続いてさらにビビル。「でも、大丈夫。私の娘もこんな足をしているけど、ちゃんと産んだから」という言葉に、すこし安心する。
宗さんに足をマッサージしてもらっているとき、「もしかして、妊娠前に太ったりした?」と言われ、またまたどきっとする。確かに妊娠前半年の間に8キロほど太ったのだ。なんでそんなことわかるの?もしかして超能力者?? 宗さんによると、妊娠前に太る人がたまにいるそうだ。
見学会でも言われた、仕事は夜ではなく朝にすること、なるべく目を使わないこと、散歩をすること、食事に気をつけることなどを細かく指導される。いままでの徹夜に近い忙しい仕事のままでは難産になると改めて認識し、「これは大変! 生活を変えなければ」とかたく決心する。

● 妊娠17週

妊娠17週。すでにお腹が目立ってきていて、周囲から「週数にしてはお腹が大きいね」などと言われていてので、聞いてみた。
健診を担当してくれた助産師は楠山さん。「お腹が大きくなる時期、形は個人差があります。大事なのはお腹の大きさではなく、お腹のなかの赤ちゃんの状態です」という答え。以前産婦人科で同じ質問をしたときには、期待した答えはでなかった。そうそう、私が期待していたのは、こういう答えなのよ!
助産院の良さはこの答えにも現れているように思う。年齢、初産か経産婦か、体重など表面的なことで判断されてしまう産婦人科、私の職業や体質、生活スタイルなども含めて指導する松が丘・・・この決定的な違いを体験し、私は松が丘で生みたいと強く強く思うようになったのだ。

● 妊娠20週

妊娠20週から尿タンパクが出始める。最初は、塩分をなるべくひかえるようにというアドバイスだった。しかし、どんどん状態が悪くなり、2+まで出てしまった。夕飯のおみそ汁もやめるようにいわれ、青菜のお浸しもしょう油など塩分を使わずそのままで食べるようになる。
妊娠22週。初めて夫と健診へ。助産師は横井さん。夫に足とお腹のマッサージの仕方を教えてくれる。2、3日に1回のマッサージは夫の日課となり、それから出産まで夫婦の、また夫と子どもとの大切なコミュニケーションの時間となった。
2010年夏は、記録的な猛暑。朝起きたらもう30度を超えていて、とても散歩に出る気になれず、散歩は(自主的に)お休み。そのかわり、通勤1駅分を歩くことにする。9月、夏の暑さが少しずつ和らぐとともに、尿タンパクも-となる。

● 妊娠30週

妊娠30週。提携の産婦人科の健診で、逆子の診断。
やっぱり逆子になってしまったというのが正直な気持ちだった。なぜなら、ぎりぎりまで仕事を減らしてはいたが、目を酷使していることには変わりがなかったし、仕事がまだまだ忙しく、散歩も満足にできていなかったから。
このまま逆子だったら松が丘で産めない! なんとしても松が丘で産みたい!
それからは時間を捻出し、朝晩2回、30分ずつ散歩、その後ゆっくりとお風呂に入るようにする。松が丘ではお灸をしてもらい、寝る方向を教えてもらって、お腹の赤ちゃんに「頭を下にしてね」と祈るような気持ちで毎日話しかけた。
2週間ほどで、きちんと頭が下になり、ほっと一安心。

 妊娠32週。産休に入るように言われた32週。主な仕事は終わったものの残務整理がちらほら残っていて、産休に入れず。健診では「まだ仕事してるんですか!?」と怒られる。

妊娠34週5日。やっと完全な産休に入る。ただひたすら、1日3時間の散歩をこなす日々。

 妊娠37週。いままでの仕事の疲れが体に出ているらしく、複数の人に肩のこわばりを指摘される。産休に入ってすぐは疲れが出ず、ほっとしたところで徐々にでてくるそう。宗さんが32週で産休に入るように言っていた意味が、ここでようやくわかるのだが、過ぎた時間は巻き戻せない。
仕事に追われてほどんど出産の準備をしていなかったので、少々焦り始める。ネット注文したベビー布団もまだ届いていない。入院用のパジャマや産褥ショーツもあわてて購入。もう少し生まれてこないでほしいとお腹の赤ちゃんにお願いする。

 38週。血圧が高くなる。針治療に行って、血圧をコントロールしてもらうように言われる。早速予約して、針治療に行く。診てもらうと、先生からは、予定日を10日過ぎると予言される(この予言は見事的中するのだ!)。左肩胛骨周辺のこりがひどく、これでは陣痛がこないそう。1日3時間は散歩をするように、夫にこっている背中をマッサージしてもらうように言われる。それからは、週に2~3回は針に通うことになる。

● 出産予定日

40週・出産予定日。まったく陣頭はこない。3時間から5時間、せっせと散歩に励む。親や親戚、仕事関係の人から「まだ??」の声が大きくなる。メール・電話でいろいろな人から連絡があり、気にかけてもらってありがたい反面、かなり大きなストレスとなる。母などは、毎日電話をかけてくる。いいかげん面倒になり、「お母さん、生まれたらこっちから電話するから、毎日電話かけてくるのはやめて!」ときつく言ってしまった。翌日姉から電話があり、「お母さん、毎日電話するから怒られたって悲しそうにしてたよ」と言われるが、こちらも必死なので、気にしないことにする。それから家にかかってくる電話はすべて夫に出て対応してもらうようにして、メールは無視。少しでもストレスを減らすようにする。
40週6日。突然、夫の叔父が亡くなる。叔父をめぐってはきょうだいのもめ事が続いていたので、これから遺産相続やらでもめるだろうなと思うと、気分が落ち込んでくる。

● 41週

41週1日。針治療に行くと、せっかくゆるんでいた体が元に戻っているとのこと。「何かあった?」と聞かれ、生前からもめ事が絶えなかった叔父のこと、遺産相続など泥沼が予想されること、予定日直前なのにお葬式に出席するように言われていること、私の精神状態は不安定になっていることなどを話す。気にしないようにと励ましてもらい、誰かに話せた安堵感からか、少し気持ちが楽になる。

 41週1日夜、10分を切る陣痛。松が丘に電話すると、「よかったです」といわれる。助産師のみなさんも心配してくれているようだ。寝ることができれば寝たほうがいいのか聞くと、寝たほうかいいといわれ、横になる。
翌日41週2日。ぐっすりと寝てしまい、朝産婦人科に行くようにいわれていたのだが忘れてしまう。物忘れがひどいのもいい兆候だと思いながらも、松が丘に電話する。午後に来るように言われ、お灸をしてもらう。翌日には産婦人科に行くように言われる。

 41週3日。起床すると7分おきくらいの痛みはあるが、産婦人科へ。診察してもらうと、CPD(児頭骨盤不均衡)の可能性があり、また予定日を大幅にすぎていることもあり、帝王切開の可能性も考えるようにと神妙な顔で言われる。
モニター室で横になっていると、涙が出てくる。我慢しても我慢しても、涙が出てくる。「ここまでがんばったのに、この病院でお産をしなければならないのか。松が丘の畳の上で産みたかった」。駅まで歩いている間に、つらつらと考える。
助産院で出産することは、当たり前ではないこと、どこで産んだとしても、一番大切なのは赤ちゃんが無事に生まれてくること。まあ、難産って言われていたし、42週になったらいやでも病院行き。帝王切開でも病院のお産でも仕方がないと、諦めに近い気持ちでなんとなく心が落ち着いてくる。

心がまとまったところで松が丘助産院に電話。
お昼ご飯を食べてから来るように言われる。

ご飯はもう好きなものを食べていいと言われていたので、一度行ってみたいと思っていた哲学堂近くのイタリアンレストランへ。妊娠発覚からイタリアンはがまんしていたので、このチャンスに何を食べようか、ピザにするかパスタにするか、前菜はセットメニューのサラダにするか、それとも+210円払っておすすめの前菜にするか・・・・・・さんざん悩んでトマトと茄子のパスタセットに。
この時陣痛は6分おき。陣痛が来ると休憩しながら食べ進んでいくが、店員さんはそんな様子に慣れているのか話しかけられないのか、見て見ぬふりをしてくれている。
デザートのパンナコッタと紅茶まできれいに平らげるも、ちょっと物足りない感じがする。ピザも追加で頼んで、前菜も+210円のにすればよかったなどと思いながら、松が丘助産院へ。お灸をしてもらって、バスで帰宅。

 夕方からどんどん陣痛がきて、ついに5分をきる。「よし、ついに来たか! これでやっと産める」「それにはまず、腹ごしらえしなきゃ」と夫に電話し、陣痛が来たからなるべく早く帰ってきてほしいのだが、晩ご飯にカツサンドを買ってきほしいと頼み、お産に備えてシャワーを浴びる。
さっぱりして松が丘に電話すると、助産師の小久保さんが電話に出た。小久保さんには「昼間の様子では、そんなに進みそうもないですが」といわれ、晩ご飯を食べて様子をみるように言われる。カツサンドを食べて、もう一度電話。「もう耐えられそうにない」というと、じゃあ来て下さいとお情けで(!?)入院させてもらう。
夫とともに夜9時半頃、松が丘に到着。診てもらうと、子宮口は5センチで、まだまだとのこと。しとしとと降る雨の音が心地よかったのか、夫は布団をひいてもらって5分で寝てしまった。私は陣痛に耐えながら、ほとんど寝ずに夜を明かす。

● 41週3日 いよいよ出産

夫は起床すると、仕事に行くと言い出した。
「まだまだ生まれそうにないし、今日は仕事の約束があるから」とのこと。
私が命がけで子どもを生もうとしているのに、仕事の約束?? そう考えると、ぽろぽろと涙が出てきて、とまらない。こんな夫を選んでしまったのは私なんだから、これも受け入れようと決心し、仕事に送り出す。

 ちょっと心細く思っていると、様子を見に来てくれた小久保さんに、長期戦になるかもしれないから少しは寝たほうがいいと言われ、7時頃横になる。
うつらうつらしていると、8時半頃あかちゃんがぐんと下におりてきて、破水。まるで「寝てちゃだめだよ」と言われているかのようだった。それから、一段と陣痛が激しくなる。

 助産師は交代して横井さんに。
その日はヨガの予約を入れていたのだが、うなったりして他の人に迷惑をかけたらいやだなあと思い、お休みさせてもらう。
じゃあ、ちょっと自分でやってみようと犬のポーズをすると、とたんに大きな陣痛の波が来たー。おお、まずいまずい、ヨガはやめ! ちょっと休憩していると横井さんが来て、動いたほうがお産が進むから、階段の上り下りをしてみないかとすすめられ、挑戦してみる。足の踵に振動がくるようにするといいと教えてもらい、早速階段へ。
横井さんはずっとそばについていてくれて、声をかけてくれる。とても心強い。10往復はしようと密かに思っていたのだが、4往復もするとフラフラになり、ちょっと休憩。

 お昼前、宗さん登場。「明日の朝までに産まれなかったら産婦人科ね」と言われたが、心の中で「絶対にイヤ!! 私はここで産みます」と強く反論していた。お腹の赤ちゃんにも、「ここがいいでしょ。早く会いたいから早く出てきてね」と繰り返し繰り返し話かけた。
お昼、陣痛の合間にお昼ご飯をちょっとがんばって平らげる。差し入れしてもらったブッシュドノエルも半分食べた。お昼を食べ終わった頃、夫が仕事を早めに切り上げ、松が丘に到着。それからはずっとそばについていてくれる。

 陣痛はどんどん激しくなり、痛くて死にそう。
4時頃だったか、宗さんが再び様子を見に来る。内診してもらうと、子宮口全開とのこと。周囲が突然あわただしくなる。「満潮で産みましょう」と宗さんに言われ、時間を聞いてみると、6時半くらいだとか。そんなには待てないし、痛みにも耐えられない、もっと早く産まれてくるでしょ!?と赤ちゃんにひたすらテレパシーを送る。陣痛の合間に、ブッシュドノエルの残りを夫がスプーンで口に運んでくれて、食べる。(後で聞くと、お産が差し迫っているのに、ご飯を残さず食べる人などあまりいないらしい。この食い意地が人生で初めて役に立ったと感じたのが、出産だったとは、なんとも面白い。)

 宗さんと横井さんに連れられてトイレに行き、宗さんにいきむようにいわれる。「ここで産むんですか?」と聞くと、そうではないが便座はいきみやすいとのこと。いきんでみるが、あまり力が入らない。背の低い私には、便座が高くて足が浮いてしまうとのこと。また和室に移動。
移動の途中、玄関あたりで宗さんが突然、「笑って」という。私は突然のことに「なんで笑うんですか?」と聞いてみると、体がゆるむからとの答え。では、笑ってみるかと笑うと、その表情を見たみんなが、なぜかクスクス笑っている。「あなたって、愛嬌があるね」と宗さんに言われるが、私はなぜみんなが笑っているのかさっぱりわからなかった(後日夫が話してくれたのだが、笑った顔が引きつっていて、とても面白い顔だったらしい)。

 和室では、木の椅子に座ってみるが、しっくりこない。陣痛が来るとなぜか立ちたくなり、夫の首にぶら下がるような形でいきむ。そこに、助産師の佐藤さんが到着。「佐藤です。頑張りましょうね」と声をかけてくれて嬉しかったのたが、私は頷くので精一杯だった。

 うんちが出そうな感覚になり、「うんちが出そう」というと、「うんちでも何でも出していいよ」といわれ、少し安心する。そのうち、なにか足の間にはさまった感じがしてきたので聞いてみたら、それは赤ちゃんの頭だとか!! 「さわれますよ」といわれて触ってみると、髪の毛がはえてちょっとじょりっとした感じの赤ん坊の頭が確かにあった。
陣痛のたびにいきむと、赤ん坊の頭が出てきた。
「ここからまた時間がかかるよ」と宗さん。私はなぜか「今、産む!!」と気合いが入る。
5時17分、すぽんっと赤ん坊誕生。へその緒につながった赤ん坊が目の前にあらわれた。佐藤さんに「へその緒はまだ動いてるんですよ。さわってみますか?」と言われさわってみると、たしかにドクドクしている。次の陣痛で胎盤が出てくる。5時21分。
「出血が多いね」という声が聞こえてきたが、出血などたいしたことに思えない。ただただ陣痛から解放された安堵感と、やっと終わったという気持ちで放心状態。胸に抱く我が子の不思議な感触を味わう。
すぐに宗さんが赤ん坊に乳首を含ませる。赤ん坊はわけもわからず吸い付かないが、宗さんは根気強く赤ん坊を誘導する。横井さんが胎盤を見せてくれた。予定日を過ぎていたわりには胎盤の機能はおちていないとのこと。ここでも一安心する。
昨夜からほとんど寝てないので、赤ん坊を抱いたまま、ウトウト。夫は親に連絡したり、写真を撮ったり、忙しくしていたようだ。

 入院生活は、快適そのもの。あかちゃんに母乳をあげて、おいしいご飯を食べ、横になって休む。夜中に赤ん坊が泣きやまない時は助産師さんが様子を見に来てくれる。ご褒美のオイルマッサージも極楽だった。

● その後――産後ウツ?

産後、手伝いにも来ないのにアドバイスだけしてくる親戚にイライラがつのる。
昔よいとされていたことも今はそうではないことも多々ある。
だから、わからないことは全部、産後3週と6週の健診のときに聞いて、確かめた。

産後、保健所から新生児訪問に来た助産師の心ない言葉に深く傷ついた。
昼間は家で赤ちゃんと二人、孤独感はどんどん増していく。近所の子育て広場にいってみればいいというアドバイスもあったが、知らない場所に行く気力も出ない。
そんなこんなで鬱々としていたが、産後1か月半の時、これではいけないと思い切って松が丘のマ・メールに出かけてみる。通い慣れた場所なので、安心して出かけられたし、いい気分転換になった。

それからは、食の会、ミニ食の会、ベビーマッサージ、バランスボール、マ・メールなどなど、機会があるたびに松が丘におじゃましている。ちょっとした子育ての悩みなどは、助産師のみなさんや宗さんに相談にのってもらい、安心して子育てできている。
松が丘でできたママ友も、食事や運動、生活リズムなど出産に向け同じ努力をしてきた同志! いまではかけがえのない友人になっている。

 もし松が丘を選ばずに自然分娩に向けて努力をしなければ、きっと私は帝王切開だっただろう。時に厳しくもいわれたが、それはなるべくリスクを減らすために、自然分娩のために必要なことだからだと今はわかる。その厳しい言葉には、愛がある。お産の時は、あんなに厳しかった宗さんも、とてもとても優しかった。助産師のみなさんも、心に寄り添ってくれた。何の心配もなく、お産に集中することができた。松が丘助産院に関わる全員が、お産のために気を配ってくれた。
これが、松が丘助産院の良さだと思う。

 いま子どもは1歳を迎えた。
妊娠中に食事や生活に気を配ったおかげで、いまのところ大きな病気もせず、すくすくと健康に育っている。もし二人目を授かったならば、また松が丘で産みたい。またあの楽しい出産を、特別な時間を体験したい。そして願わくば、哲学道そばのイタリアンで、チーズたっぷりのピザとおすすめ前菜セットを頼もうと、かたく心に決めているのだ。

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